表記の本を、今、読み終えました。

一言で読後感を表すなら、「人間とはなんと愚かな生きものか」ということです。
金勘定だけで、命の土台を崩して来た訳ですから。
北米の先住民は、七代先のことまで考えて行動すると聞きますが、次の世代のことも何も考えずに、せっせと自然林を伐り開き、せっせとスギ・ヒノキ・カラマツを植え、せっせと砂上の楼閣の都市を築き上げてきた訳です。

そして、今、日本全国、山を歩けば分かりますが、里山から奥山まで、砂防ダムがびっしり並び、川や海岸はコンクリートで固められ、枯れた木々、折れた木々、根こそぎ倒れた木々、森の墓場のような惨状が目に付きます。
森からササ原へと移行し、そのササすら無くなり、地肌が露出して、沢は詰まり、風は澱み、斜面の崩壊もよく見かけます。

歴史が示すとおり、森を失った文明は、必ず滅びることになるでしょう。
この本は、1999年初版なので、今はここにさらに、放射能汚染が、ズッシリと加わりましたから。
このままだと、とりわけ日本では、ぼんやりと洗脳されている間に、汚染が進み、災害に巻き込まれ、理由も分からず、体調を崩し、理由も分からず、亡くなられる方が増えていくのではないだろうか。。。
小難しい議論や、バーチャルの世界で遊んでないで、惨憺たる日本の生の自然に触れて、母なる大地の声を聴き、自ら気づくことが大切なことだと思うのです。

遠目の山はきれいでも、近づくと山の木々は枯れてます。
写真はきれいに撮れても、近づくと山の沢は枯れてます。
山に沈む夕日は美しくとも、近づくと山の獣たちは消えてます。
メダカが絶滅危惧種といいますが、日本人も同じです。
風土と一体化している日本人は、山が死ねば、生きていけない。


以下は、本書の中から、抜粋・転載、一部要約。

・高度経済成長以後の大気汚染による酸性雨・酸性霧によって、日本各地の森林が急速に枯れ始めた。

・枯れるメカニズムについては、
「長く蓄積された酸性の雨で弱ってきた樹木に空気汚染が加わります。pHの低い酸性の雨が土壌にしみこむと、カルシウム、マグネシウムなどの栄養分が流れ出し、同時にアルミニウムも流れ出します。溶け出したアルミニウムは、細い根に害を与えます。
また菌根菌という共生している菌を殺してしまいます。このため栄養分や水分の吸収が困難になり、樹木は頭から裸になってくる。このときは根も同様にやられています」(ミュンヘン大学 ペータ・シュッツ教授)

・北海道の雄阿寒岳中腹でアカエゾマツの立ち枯れが1992年ごろから始まっている。
 ・・・・・(中略)
 4合目。10時30分に発生した霧がエゾマツの葉を濡らした。酸性度を測るとpH3.0だった。あまりにも強い酸性霧にびっくりした。

・私が日光白根山のダケカンバの異変に気がついたのは、1989年の7月だった。
 ・・・(中略)
 1991年6月30日の私の記録には、「ダケカンバの枯れ、ぐんぐん広がる」と記されている。
 ・・・(中略)
「赤城山の調査を続けている環境庁国立環境研究所の村野健太郎主任研究員は『夏に南風に乗った湿った空気が首都圏の排ガスや工場の煙を取り込み、山岳地帯で酸性霧になる。その一部が谷沿いに日光白根山まで届き、生育条件の悪い木が枯れた可能性がある。・・・』と話している」

・環境庁国立環境研究所の村野健太郎、畠山史郎両氏らは、この赤城山で酸性霧などの汚染物質の観測を10年間続けてきた。この中でpH2.96という値の強酸性の霧も観測している。
赤城山の立ち枯れは、台風や伐採などによるものではなく、強酸性等の大気汚染によるものだと発表している。

・北八ヶ岳に縞枯山(2403m)がある。
 ・・・(中略)
 縞枯山の縞枯れは、1930年に地元の植物学者によって確認されている。
 諏訪湖周辺は、生糸の生産が盛んで、その燃料が木炭から石炭に変わったことで発生した亜硫酸ガスが、北八ヶ岳のシラビソの親木を傷つけた。
 ・・・(中略)
 今、縞枯山を人間で例えれば、末期ガン状態といえる。

・日光白根山で調査をしているところへ、高校生の集団が通りかかった。白骨になったミヤマハンノキについて聞いてみたところ、「これから芽を吹くと思っていた」と言うのだ。
これだけ激しい立ち枯れに、どうして気付かなかったのだろうか。
この高校生に限らないかもしれないが、自然の大きな”叫び”に耳を澄ますことができないということは、人間にとっても生きる力が弱くなっていると言えないだろうか。

・ブナ林の伐採によって起こったことは、水害と水涸れだった。一雨ごとに表土を流し、川を濁らせてきた。大雨となれば、山に保水力がなくなって一気に下流へと流し、多数の死者を出してきた。ブナ林の力を、失ってみて初めて知ったありさまだ。

消える森 甦る森