外に外に、答えを求めている間は、自分の影を追いかけるようなもので、いつまで経っても、求める答えにはたどり着かない。

今、自分に起こっている現実は、自分にとって未解決のことであると同時に、乗り越えることができること。
それが一番明瞭に現れるのは、家族、とりわけ親子関係。

子は、親にとっては、自分を映す一番近い鏡。
子育ては、親育て。
子は、親の生きる姿勢をよく見ている。
親が外に答えを求めている間は、子も外の他力を求め、自力・自立から遠くなる。

外に学び、内に目覚め、他力もあり自力もあり、自分の自立は他者の自立を促す。

時に、外に学び、時が満ちれば、「守・破・離」の如く、または、「自灯明、法灯明」の如く、内なる神性の扉を開けばいい。
そこにすべてがある。

そこに至れば、どんなに著名な先生の講演も、ネットの膨大な情報も、何万というブロガーのアクセス数も、その中にある。

自分が気づきさえすれば、生きるのに必要なすべては、他に求めずとも、目の前に、足元に、いつでも、どこにでもあり、降り注いでいる。

”野風草”、”野”に吹く”風”にそよぐ”草”に、宇宙のすべては現れている。


ということを、目覚めたとき、直覚した今朝でした。
さて、今朝も、ご来光凝視に行ってきまーす